ナナの生い立ち

ナナちゃんまでのlong story

私が子供の頃は平屋住まいだったので、野良猫達が勝手に出入りして、我が物顔で遊んでいたが、家族とはうまく共存していた。
結婚して子供が2人になった頃はマンション住まいになった。
当時(1970年代)はペット禁止で、野良猫や野犬は、市の捕獲車が来て連れて行くのを何度も見たし、自治会では通報するようにと厳しいルールになっていた。
そんな折りもおり、ある木枯らしの寒い夜の事だった。夫が、スーツの内側から恐る恐る取り出したのが、な、なんと猫ではないか!?
ここから我が家の一大事が始まる事になるのだが…。
聞けば会社帰りの道端で蹲るこの子と目が合った時、「連れて行って」と言ったとか。
思わず娘も私も「可愛い!」を連呼。それは、ふわふわとした産毛がまだ残った薄茶色のトラ猫で、私が子供の頃よく遊んだ「チビ」にそっくりだった。猫との触れ合いの中で、生や死を自然に学んだその頃の情感が沸き上がり、抱き抱えようとした。だが、出た言葉は、「お願いっ!情が移らない内に元の所に置いてきてっ!」だった。

それから……何ヶ月経った頃だろう。ベランダ下の中庭で、五匹の小猫に乳を与えている茶トラ猫に出会う。それは紛れもなくあの子だった。
授乳が終わると一匹ずつ銜えて溝を這って場所変えをする。そして又、我がベランダ下にやって来るが、日毎に数が減ってきていた。そして遂に二匹になった時、あの子は、その二匹に猛然と襲いかかりぷつりと来なくなってしまった。
私達は驚愕し、途方に暮れた。
空腹な小猫の鳴き声に耳をふさいだが、遂に私は耐え切れなくなり「大きくなる迄だよ」言い聞かせながら密かに餌を与え数ヶ月が経過した時、私達は転居することになる。
さあ、この小猫達をどうしたらいいか…。
野良猫の貰い手は無い。転居先はペット禁止である。置いていけば通報されて一巻の終わりだろう。引っ越し日が迫り、焦った。
思い余り、知人の動物解剖専門医に相談に行くと、人々の病因解明に重要なお役に立ち、手厚く慰霊される事を聞き、私のエゴイズムか、チョイスした道はそこへ連れて行く事だった。
別れる時の、彼等の断末魔に似た呻き声は、今でも、今もはっきりと覚えている。

あれから約三十年。他に方法は無かったのか…置いてきた方が生き延びれたかも知れない。と、ずっとずっと罪の意識に苛まれ続けている。
知人から拾い猫を貰って欲しいと頼み込まれても、飼うまい、猫は絶対に飼うまい、飼う資格は無いんだと自分を諫める事が、あの子達に対する贖罪だと思ってきた。
ところが、ところがである。下の娘が結婚する時、「私だと思い一生可愛がってね」と拾ってきた茶トラの小猫がこのナナちゃんである。
「一生」という言葉の中に、動物と触れ合った時は最期をみとるべきだという意味と、その事によって、あの子達への罪の意識はもう許されるのでは?との娘からのメッセージだと解釈し現在に至っている。

ナナちゃんと私の関係はと云えば、即かず離れずだろうか。いや、ひょっとしたら彼女がご主人様で私が召し使いかもしれない。

ナナの生い立ちの写真

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