エッセイのページ

余命1ケ月の花嫁

 これは、2007年にドキュメンタリー番組としてテレビで放送された、乳がんの千恵さんを、力強く支える恋人の太郎さんとの愛の実話を映画化したものだ。ドキュメントをテレビ見た時、苛酷な結末が分かっているので、末期のたん胆道がんで兄をなくした事と重なるものがあり、私は凝視できなかった。
故に、この映画を見に行こうかどうか随分と迷ったが、今年は兄の13回忌ということもあり、もう一度『がん』に付いて考えてみようと思い、見に行った。
主人公の千恵さんには、余命わずか1ケ月だとは知らせていない。しかし、彼女は自分の病気を現実として受け止め、「大丈夫」「頑張るからね」と、前向きにピースサインを出す。太郎さんはそれをどんな気持ちで受け止めていたんだろうか・・・。
 
 兄の場合、余命3ケ月だと本人に告知された。我々家族よりも先にだ。
当時、告知問題は家族が優先で、本人には伏せる傾向にあった。私も聞きたくない派だったので、医師に「何故か?」と、直談判にいった。
「経営者としての立場上、今後必要不可欠だと判断したので告知した」と、医師は言った。「家族にも伝えましょうかと尋ねたら、いや、皆が動揺するので僕が伝えますと、本人が言った」とも、付け加えられた。
夏はテニス、冬はスキー、その合間を縫って、愛車、ハーレーダビッドソンクラブのメンバーとしてツーリングをするたくましい兄が、まさか末期がんだなんて・・・という驚愕と同時に、自分の気持ちを抑え、家族を思い遣った事の方がもっとショックだった。兄貴らしいなと思うと、涙が止まらなかった。

 入院してからも、頑強な体つきは衰えることなく、見た目は健康そのものだった。が、体内にはあちらこちら癌が転移し、手のほどこしようがなく手術は出来ない状態だと言われた。それでも家族は、有らん限りの医療を医師に懇願した。又、薬草が効くと聞けば取り寄せたり、鯉のエキスが良いと言われれば、高額にも拘らず購入して飲ませた。だが、医師に何度尋ねても首を横に振るばかりだった。

 映画の千恵さんは、友人や家族の計らいで、マニキュアをしておしゃれを楽しんだり、焼肉を食べに外出したりと、生きていることに感謝し積極的に行動した。ウエディングドレスを着てみたいという夢も叶えた。
兄はどうだろう。
表面的には健康そうに見えるため、彼の現実を家族は受け入れる事が出来なかった。ひょっとして奇跡が起こるかもしれないと思い続け、辛い放射線や薬漬けの毎日を強いた。
「顔色いいよ」「退院したら又、皆で高山へ行こうね。頼りにしてるから!」と、私も発破を掛けた。
ある日、彼が点滴のポールを引っ張っぱって、喘ぎながら階段の上り下りに励んでいる姿を目撃して仰天した。治りたいんだ。生きていたいんだ・・・。
今にして思えば、何かしたい事がいっぱい有っただろうに、どうして聞かなかったのか悔やまれてならない。

 やがて3ケ月が過ぎ、新年を迎える時期となった。
「これが最後のお正月になると思うから、家族と過ごしたほうがいい」と、医師に言われた。
元日は、子供の頃から熱田神宮へ参拝に行く慣わしだったが、この年は近くの神社へ行った。
甘酒を飲み、お賽銭を入れて兄に奇跡が起こる事を願った。そして、写真を撮った。
帰宅してからも、毎年繰り広げられるお正月風景となんら変わりなく、皆で飲んだり食べたり騒いだ。
さて、宴もたけなわの頃、私は兄に目配せをした。サプライズタイムの始まりだ。「パンパカパーン Attention please !  みんなこっちを向い・・」と、私が言うか言わない内に、テレ屋の兄は渡してしまった。最愛なる妻にプレゼントをだ。受け取った義姉は、思いがけない出来事と箱の中を見て目を真っ赤にした。私が、密かにサイズを探り用意したその指輪は、ぴったりで良く似合っていた。

 正月も過ぎ、再入院となった。
我々は、一週間づつの計画表を作成し、病院に寝泊りをした。私の番になると、朝食後はいつも病院内にある公園へ連れ出し、ブランコに腰掛けて小さい頃の話をして笑い転げた。疲れると、売店で野菜ジュースを買い、ナースセンターのヘルスメーターで体重を測定してから病室へ戻るのが日課だった。
ある時、体重がガクンと下がったのを見た私は、咄嗟に体重計に足を触れ70キロを保った。それ以来、兄は計らなくなってしまった。
やがて腹水が溜まって意識障害をおこすようになり、見る影もなく痩せ細っていった。
とうとう危篤状態の一報が入り大阪から駆けつけると、心電図がかすかに上下していたが、秒を追う毎に一本の直線となって・・・。
まるでドラマを見ているようだった。きっとこれはドラマのワンシーンだと自分に言い聞かせた。
兄との別れは、人々の嗚咽で、葬儀場が揺れ動かんばかりだった。特に、年老いた母の、息子の名前を呼び続ける様に、悲しみのどよめきがおこった。60歳だった。が、皆から愛され惜しまれた彼の人生は幸せだったと思う。
 
 映画の千恵さんは、24歳という短い人生の中で、乳がんと闘いながら検診の大切さを示した。
兄がもっと早い時期に検診を受けていたら・・・と残念でたまらない。そして、千恵さんのお父さんは彼女に余命1ケ月だと告知を避けた。良い選択だったと思う。治る希望の無い告知は残酷だ。兄に、告知をどう受け止めたのか思い切って聞いてみた。「油汗にまみれて毎晩のたうちまわったさ、家族の事や経営の事を思うと」と、言った。

 千恵さんは、「明日が来るって奇跡なんだよ 太郎ちゃん」と、恋人に言う。生きてること、明日が当たり前に来ることの素晴らしさと感謝を、改めて考えさせられる素晴らしい作品だった。
最後まで諦めずに千恵さんを支え続け、共に病と闘った恋人の太郎さんが、残された側の経験した者にしか分からない辛い悲しみを、どうか乗り越えてくれるように心から願っている。



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