エッセイのページ

クスン

娘たちは、中学生になるころまでは何をするにも私の許可を得てから行動したし、家族の祝いごとでは、いかに相手を喜ばそうかとワクワクしながら用意をしたものだ。中でも、「お金がないから心を贈ります」と、でっかいハートマークの母の日のカードや、ちっとも似ていない美人に描いてくれた似顔絵などは、私の大切な宝物となっている。

どんなに叱られてもうるさがられても、手をぎゅっと握り締めてすり寄ってくる彼らにとって、母親であるという私の存在は正に、絶対的なものだと自負していた。

ところが高校生になると、アルバイトを決めたとか止めたとか、事後報告になった。

ある日、大学を卒業した下の娘が突然男性を連れて来て、言った。

「結婚しまぁ〜す♡」「式は、オーストラリアのケアンズでします」あれよあれよという間に結婚し、親が、子離れの準備をしたい婚約期間がなかったのだ!

しかし私には、決して娘たちにぼやけない大きな理由があった。

今から三十年前、女性にとってまだ閉鎖的な社会状況の中で、茶髪の私はジャズを歌っていた。売れないころは、酔客を前に安クラブでのステージが多かった。心配気な兄が、車で迎えに来たり、花嫁修業でもしろと言う父の意見など無視して、夢に向かって突き進んでいた。テレビの仕事が多くなると夜遊びをした。おまけに同棲をしてしまった。主人とである。怒り狂った父の前に、猛然と立ちはだかったのは母、母であった。

元気でいるか/お金はあるか/電話でもいい…さだまさしのあの歌が、最近妙に気になる。

娘たちからちっとも連絡がない。私がいなければ夜も日も明けなかったあのころの感情は、今誰に注いでいるんだろう。誰を喜ばそうかとワクワクしているんだろうか…クスン。

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