エッセイのページ

ロメオ

 ロメオが逝って2ヶ月になる。我が家の猫ではなかったけれど、娘夫婦に子供が居ないので、私にとっては初孫みたいなものだった。
そもそもロメオとの出会いは、我が家にとって猫革命をもたらしたといっても過言ではない。

 私には、猫に対して残酷で罪深い人間だったという負い目がある。
今のマンションに来る前は、豊中市に住んでいて、集合住宅ではペット禁止は常識だった。野犬や野良猫は通報され、市の捕獲車に連れて行かれるのを何度も見た。にも拘らず、強かに生き延びた2匹の姉弟猫が、我が家に出入りするのを許してしまっていた。
やがて引越しが決まり、さあこの猫達をどうするか・・・。転居先は勿論ペット禁止である。置いていけば通報されて一巻の終りだろう。引越し日が迫り焦って悩んだ末、知人の動物解剖医に相談し、私のエゴで、人間の病因解明に役に立てる道を選んでしまった。別れる時の、あの断末魔に似た呻き声を、今も、今も決して忘れてはいない。以来、づっとづっと罪の意識に苛まれ続け、知人から拾い猫を貰って欲しいと頼み込まれても、飼うまい、猫は絶対に飼うまい、飼う資格は無いんだと自分を諌める事が、あの子達に対する贖罪だと思ってきた。

 ところがである。長女が結婚し、神戸に住まいを見つけて契約に行く大雨の日だった。
武庫川の橋で信号待ちをした時、ふと、目をやると、道路の溝に、雨水で今にも押し流されそうになっている子猫を発見! 思わず、赤信号の瞬時に拾い上げてしまった・・・と、長女は言う。
「貴女も知っての通り、お母さんは猫を飼う資格が無い人間だから、自分の責任で貰ってくれる人を探してね」ときっぱり否定をした。
訪ね歩いても、貰ってくれる人はいなかった。
鶏がらのようにガリガリに痩せ、耳にはコールタールがべっとり。喘ぎながら呼吸している猫を前にして、長女は、手元に置こう!と、一大決心をする。ペット禁止のマンションにだ。
見つからない為の躾に気を使い、猫嫌いの夫をいかに好きにするか悩んだり喧嘩をしたり・・・と、その時期にあの惨事、阪神淡路大震災となった・・・。

彼らの救出大捜査は困難を極めた。が、全員無事だった。そして、我が家での同居生活が始まる事となる。

 ロメオは、猫のはずなのに足音がした。それも、タッタッタッとかなり大きく。全室カーペット敷きの部屋なのにだ。
皆が寝静まった真夜中になると、トンっと、高い所から飛び降りた音がして、なにやらカラカラころがして狂ったように遊んでいる。そのうちに、シャキシャキシャキシャキと物を噛む音がする。「あ〜っ 私の大切な観葉植物が・・・」っと、息をひそめて様子をうかがっていると、ゲボッ ゲボッとやりだす。
飛び起きて、後始末をしていると側にやって来て、ひっくり返り真っ白なお腹を見せて、ごめんちゃ〜い ごめんちゃ〜いを思わせるしぐさをする。「もうっ! ロメったら・・・可愛いやつ」と、抱き上げて深夜の猫遊びだ。
 メッシュフラワーのレッスンで人々が出入りする日は、人見知りをするロメは、デスクの陰に隠れて一日中出てこない。何回見に行っても、4本の手足だけが覗いている同じポーズで身動きもせず、飲まず食わずだ。
 
 通常、主人は「きんたろ〜」と勝手な名で呼び、私は「ロメた〜ん」と呼ぶと、「ロメオですッ」と、娘夫婦は笑って訂正をする。
そんなこんなですっかり打解けた頃、彼らは新しく購入したマンションに引越しをして行った。
睡眠不足やら気がかりやらの日々で疲れ果てたけれど、居なきゃ居ないで気が抜けたような感じだ。

 思い起こせば、15年もの長い間、預かったり留守番に行ったり、笑ったり叱ったりと交流を深めた間柄だった。
特に、ビッグバードの印象が強い。これは、下の娘が留学から帰国した時、アメリカのテレビ番組『セサミストリート』のキャラクターの中のビッグバードのぬいぐるみを、土産としてロメオに与えたら、すっかり気に入ってしまった物だ。
手足は噛みちぎられ、目玉はひん剥かれ、黄色のボディは唾液でベトベトにされて、まるでぼろ布のようだった。それでも毎日遊びほうけていた。気に入らない事があると、自分の水飲み鉢にぽ〜んと放り込んで処刑をする。「怒ってるよ 怒ってるよ」と、我々は笑い転げたものだ。

 弔う時、真っ先にこのビッグバードを持たせてやったと、娘夫婦は号泣した。
私も又、大阪の空から心を込めて見送った。いろんな意味でのありがとうの気持ちが、猫に対する30年前のあの罪深き行為を、ほんの少しだけ許してもらうことが出来ただろうか・・・。

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