エッセイのページ

展示会

 娘夫婦が、独自のジュエリーブランドを立ち上げて久しい。しかし、この不況下で、そんなに売れるものではなく生活は厳しい。だが、夢に向かって突き進んでいる姿は、私の若い頃に似ている。
女性にとって未だ閉鎖的社会状況だった中で、茶髪の私はジャズを歌っていた。売れない頃は、深夜の安クラブのステージが多かった。
娘の行く末を案じた両親が、どんなに苦悩したかその頃は知るよしもない。今、自分が親になって初めて分かる事だけれど・・・。
 
 彼らは、イタリアやパリの見本市に出展したく、リサーチに出かけたが経済的に難しくあきらめざるをえなかった。そこで、東京進出をはかり、まずまずの成果を収めた。
 昨年12月の事だった、大阪心斎橋の、或るデパートからもお声がかかり展示会を開催。クリスマスシーズンでもあり賑わう事を想定して、下の娘やその友人をアルバイトに頼み待機した。が、あに図らんや、覗きに行く度に手持ちぶさたの姿が痛々しかった。
 
 そこで思いついた。「主人と一緒に激励に行こう!」と。
リハーサルを何度も繰り返し、主人をエスカレーターに乗せて、私は階段を駆け上がり陰から様子を覗った。
杖を頼りに、びっこをひきながら初老の男がショウケースを覗く。
「いらっしゃ・・・」っと言いかけた娘が絶句している。全員が豆鉄砲をくらったようにぽか〜んとして。次の瞬間、「お父さんっ!!」どうしたの? お母さんは?っと、矢継ぎ早に質問をしているようだ。
「一人で来た」と、主人はリハーサルどおりの名演技。
皆で食事でもしなさいと、お祝いの封筒を渡し、受け取った娘がウルウルしているところへ、ぐわははは・・・と大笑いをしながら私、登場。
「もうっ お母さんたっら! お父さんが一人で来るはずないし、状況がよくのみ込めへんかった・・・」
「ああ、これは正に韓国の逆バージョンだ」っと、下の娘も笑う。
韓国の逆バージョンか、そうかもかもしれない。あの時、家族の愛がどれだけ大切で嬉しかったことか・・・。

 あれは、忘れもしない4年前の同じ12月だった。
長年培ってきたメッシュフラワーの展示会を、韓国ソウルの現代百貨店で開催した時のことだ。
なぜ韓国かと聞かれれば、親しい友人が居る事。そして「冬のソナタ」ブームで韓国がにわかにクローズアップされていた中で、私は、主人との間に重大な問題を抱えており、どうせなら、話題になっている韓国でどーんとやって思い出を作り、全てを、そう、花も人生も何もかも終りにしてしまいたいと思ったからだ。しかし、胸の内は誰にも言えなかった。
クラスのスタッフからも、掛かる費用は誰が持つのかで険悪なムードになり、経済的にも追い詰められていた私の心は千千に乱れていた。

 展示会は、友人の骨折りで好評にスタートした。
人々に説明をしている時だった、何やら熱い視線を感じるのでふと、見上げると、な なんと!そこに主人と、結婚した二人の娘が花束を持って笑みを浮かべているではないか!! 一瞬、状況がよくのみ込めずぽか〜んとしていると、お祝いに、サプライズで駆けつけたと聞き、思わず号泣してしまった。
その夜、ソウルの街を4人で歩いた。
クリスマスイルミネーションが、まるで蛍の乱舞のようで、娘達が子供だった頃に捕まえた蛍の話に花が咲き、ばらばらになっていた家族の絆がぎゅっと再構築された瞬間だった。

 そして・・・4年経った今、大阪の心斎橋界隈もクリスマスイルミネーションで彩られ、奇しくも12月15日は結婚40周年記念日でもあり、ソウルを思い出すには絶好のシチュエーションだった。
主人と私が、信頼し支えあえる夫婦になるには、40年という歳月がかかった事を、娘夫婦の展示会で、しみじみと語り合える特別な日となった。

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