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エッセイのページジュンコの留学奮闘記(2)
☆ ホストファミリー ☆ 1985年8月10日。娘を乗せたユナイテッド150便が、シアトル、デンバーを経て、目的地のミネソタ州ミネアポリス・セントポール空港に到着したのは、予定より3時間も遅れて、真夜中の1時過ぎのことだった。 (こんな時間に、はたしてホストファミリーは迎えに来てくれているのかしら?同い年のタミーとは、どんな子だろう?ロックシンガーの『プリンス』が大好きだと言ってたっけ) 娘は、不安と期待と時差ボケと腹痛の中、それでも初対面の挨拶だけは、何度もおさらいをして、胸ときめかせながらタラップを降りた。 真夜中の待合室に、小山のような人影が3つ、じっと立っているのが見えた。 (うん? 日本からお相撲さんが・・・。何やら3人で、横書きのプラカードを持っているわ) 「Welcome Junko!」 (うっそ!) 小さな小さなぬいぐるみを持った超おデブちゃんと、それよりも更に一回り太った女性と、上背のある男性が、ゆっさゆっさと体を揺らしながらジュンコに近づいて来た。 ”Are you junko ? ” ”Oh, yes. I'm・・・” 言うか言わないうちに、がばっと女性に抱きかかえられ、なにやら猛スピードで言われた言葉はまったく分からず、夫とタミーだと紹介されて、(ひえ! この人達が私のホストはミリー!?) メールで、ある程度の予備知識はあった。しかし、あまりのでっかさに肝をつぶし、次の言葉が出てこなかった。 タミーが、耳元で何か言った。聞き取れない。 ”I beg your pardon ”すると彼女は ”Do you wanna go to the bathroom ? ”と、言いなおしてくれた。 ”No, I....don't . (いいえ、お風呂・・・行きたくないわ) しどろもどろに断ってから、(しまった! トイレのことだ・・・)と分かったが、時、既に遅し車は動きだしていた。 飛行機の中で、緊張のあまりずっと腹痛を感じていた娘は、まったくお色気の無い話だけれど、これから1時間も車の中でのたうち回る破目になってしまうのだが・・・。 ともかく、こうしてヘビー級プロレスラー並みの体格をした3人家族のセリン家に、娘は1年間ホームステイすることになった。 私は「行ってらっしゃい!」と、笑顔で送り出しはしたけれど、大国アメリカとアメリカ人に対して、そして英語力にも、すくなからずコンプレックスを持っていた娘を知っている。 自己主張が要求されるアメリカ社会の中で、日本人留学生として、また、世界に通用する国際人をめざして、どうか気後れしないで堂々と、対等にうまくやっていけますよう がんばれ!!と心の中で毎日祈った。 つづく |
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