エッセイのページ

ジュンコの留学奮闘記(3)

☆ ああ・ベビーシッター ☆

 ジュンコが、セリン家で生活を始めた時は夏休みもそろそろ終わりに近づいていたが、同い年のタミーは、近所の子供を預かり家でベビーシッターをしていた。
 ジュンコは時差ボケのため、毎日起きるのがお昼近くだったので、セリン夫妻は既に仕事で外出していた。目をこすりながら階下へ行くと、子供達が待ち構えていて、「ジュウ〜ンコ」「ジュウ〜ンコ」と追いかける。ウ〜ンコ、ウン〜コと強く発音するのが気になったけれど、遊ぼうよとすり寄って来るのは可愛いものだ。しかし、彼等の話す言葉が全く分からない。まるでテープを早送りしているように、キュルキュルピュルピュルとしか聞こえず、(こんな子供達の話す会話も聞きとれないなんて!)と、自分の英語力に真っ青になった。

ある時、タミーに聞いてみたら、「幼児語だから私にも良く分からない」と言う返事に、すっかり安心。それ以来、ゲームをしたり、ニコニコマークやへのへのもへじを書いたり、テレビを一緒に見てCMソングを大声で歌った。
♪ I love skippy good for me ! ♪
この、ピーナッツバター、スキッピーのCMソングは、子供達に人気があったしパンにぬって良く食べたので、すぐ覚えた。

 しかし・・・来る日も来る日も子守とテレビ観賞、週末はショッピング、そして教会・・・と単調な毎日が続くうち、ジュンコはだんだん退屈になってきた。(もうすぐ学校が始まるというのに、こんなことをしていていのだろうか。自分は一体、アメリカへ何をしに来たのだろう。自分の思っていたアメリカはこんなのじゃない!)
不安と苛立ちが感じられる手紙を、私はジュンコから受け取るようになった。

 私もまた、アメリカといえば、躍動的、合理的, そしてひろびろとしたキッチンや庭のある家etc・・・のイメージを持っていた。しかし、どのひとつもセリン家には見当たらない。テレビや新聞で知る、ニューヨークやロサンゼルスなど大都会の刺激的なニュースが、アメリカそのものだと錯覚していた私は、いかにアメリカという国の事を知らなかったかと驚愕した。これは正に、娘にとっても私にとっても大きなカルチャーショックだった。

 日本の25倍はあるというアメリカは大きい。ミネソタ州は日本全体に近い広さがある。地方には地方の文化が有り良さが有る。それを知るというということは、真のアメリカを理解する事になるんだから、どうか焦らず、自分で自分の生きかたを見つけなさいと、私は、生まれて初めて自分の娘に長い長い手紙を書いた。
つづく

Copyright©花工房NAO All Rights Reserved.