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ジュンコの留学奮闘記(5)

 ☆ ホームシック ☆

 タイピングクラスのMr.フレミングに、第一印象を悪くしたジュンコは、彼の授業は決して楽しいものではなく、受け取る成績表はいつも「C」というお粗末なものだった。もっと悲惨なのはアメリカンフロンティア。開拓時代のアメリカを理解するには、あまりにも英語力が乏しく、本を一冊読んでリポート提出の宿題には毎回泣かされた。数学とクワイヤーはまずまずの成績で、英語の授業は、文法で良い点を取るのにうまくしゃべれないジュンコは、You are creazy !と笑われた。
 
 そんな中で、美術のMs.ローリーだけはジュンコの良き理解者だった。ある時、今の自分の気持ちを絵で表現するというレッスンで、思わず五重の塔を描いた。子供のころ何度か訪れた京都の町並みだ。色鉛筆だけで、線を基調にしたシンプルなものだったが、サイケデリックな作品が多い中で、繊細なタッチのジュンコの絵は彼女の共感を呼び、それ以来、何かと話し相手になってくれるようになった。又、廊下に展示されたその絵を見て、日本や日本人のジュンコに興味を持った何人かと、初めて友達になることが出来た。
 
 地理の時間では、世界地図の中で、小さく小さく示された日本を指差して、「日本人だったの?」 「テレビや冷蔵庫有る?」 「忍者は居るの?」と、質問攻めにあった。セントフランシスハイスクールに来て、初めて自分に関心を寄せられたことはとても嬉しかったが、あまりにも日本の情報に乏しいのには驚かされた。
5分しかない休み時間は、次の授業の教科書を取りに自分のロッカーまで走りに走り、終業と同時に、時間通りに出発してしまうスクールバスに乗り遅れまいとこれまた猛ダッシュ! タミーの家にたどり着く頃は、身も心もくたくたになっていた。
話が弾むはずの夕食時も、頭の中で日本語を英語で考えてからしか話せないジュンコは、いつも一拍遅れてしまい、何か言おうとするとすでに話題が変わってしまっていて、話の内容についていけない自分に焦った。自分の部屋に戻ると、(ああ、やっと一日が終わった。このまま明日にならなければいいのに・・・)と思った。
 
 ふと窓に目をやると、コーンフィールドが何処までも続き、地平線の彼方にはまん丸い月が雲に見え隠れしている。(そうだ、アメリカに来る前は、妹と三階のベランダからよく空を見上げていたんだっけ。U F Oらしき物を見た時は大騒ぎしたんだ。家族はどうしているんだろう・・・。友達は?)あれやこれやの懐かしさが、やがては慟哭に変わり、たまらなくなってベッドにもぐり込み、体を震わせる日が毎晩続いた。

 その頃、私もジュンコの部屋を掃除する度に彼女の事を思っていたのだが・・・。   つづく

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